サモア

これからの日本で必要な生きる力とは?学校で鶏をさばいて食べるサモアの子どもを見て考えた

 

先週の金曜日、学校の授業が突然すべて中止になりました。

その理由は、バーベキュー

https://twitter.com/negiyaaaaaan/status/989608158564790272

ネットボールチームが地区大会で優勝したのは知っていたけど、まさか1週間遅れでバーベキューがあるとは。

ほんと、ただでさえ職員会議が全部サモア語で何言ってるかわからないんだから「ほう・れん・そう」くらいちゃんとしてほしいところです。

 

 

鶏をさばき 薪を割って火を起こす子どもたち

さて、みなさん。バーベキューのメインディッシュといえば

そう、お肉ですよね。

 

ここサモアでは、バーベキューというとタレに漬け込んだ鶏肉を焼いて食べるのが一般的です。

そう、鶏肉。

 

 

 

この鶏を、金曜日にみんなでいただきました。子どもたち自らがさばいて

 

鶏を絞めてさばくところは、ホームステイしている家で何度か見たことがあるので、それ自体にびっくりはしませんでした。

けれども、12歳の子どもたちが自分の手でそれをしていることには、大きな衝撃を受けました。

 

びっくりしているわいを横目に、子どもたちはどんどん作業を進めていきます。

「え、当たり前のことでしょ?」っていう感じで。スイスイと。

 

同じように、鶏肉を焼くための台や火も、自分たちの手で木を切って準備します。

本当にあっぱれ。めちゃくちゃたくましいです、サモアの子。

 

こうしてできあがったバーベキュー。

ネットボールに優勝し、汗水流してはたらいた子どもたちが1番に食べる!

と思いきや、ちゃっかり先生たちが1番にいただいてました。なんでやねん。ホンマ。

 

生きる環境が違えば「生きるために必要な力」も違う

この様子を見て考えたことを、図解してTweetしてみました。

 

 

いまの日本の社会で生きていくために、例えば、基礎的な学力は仕事を得るためにも、こなすためにも必要だし、からっきしパソコンが使えなかったら話になりません。
鳥をさばいたり、火を起こしたりする力よりも、そっちのほうがよっぽど生きていくために必要です。

 

でも、ここサモアでは、こうやって鶏をさばけたり、火を起こせたり、葉っぱを使ってマットを編んだりすることができれば、幸せに生きていくことができます。
少々勉強ができなくても、パソコンを使えなくても。

 

生きる環境がかわれば「生きるために必要な力」も変わる。

 

おもしろい!と感じる一方で、「はて?」と疑問が2つ浮かんできました。

 

今の自分がやってることって おせっかい じゃない?

うえに書いたように、ここサモアは勉強ができなくても、幸せに生きていける国です。

国民の8割が肥満ということが物語っているように、食いっぱぐれて飢え死ぬことは、まあ、ありえません。

 

これにはいくつか理由があるのですが、1番大きな理由は、海外在住サモア人の多さ。

国内人口と同じ(もしくはそれ以上!)のサモア人が、ニュージーランドやハワイなどの国外に住んでいます。

なんでそれが理由になるのかって?

実は、サモア国内に生活する家計の多くは、海外在住の親族たちが仕送りするお金で暮らしているのです。まるでベーシックインカム

もれなく、うちのホストファミリーもそのパターン。
だから 一家全員無職なのに村有数の金持ち とかいう、ちょっとよくわからない状態になってます。

 

じゃあ、こんなふうに「幸せに生きていける未来が目に見えている状態」だとどうなるでしょう?

こたえは、「いっぱい勉強してもっといい職に!」というような勉強へのモチベーションが低くなります。

 

そりゃあそうですよ。
「学校で学ぶこと」が「生きていくために必要」ではないのですから。

 

じゃあ「青年海外協力隊 小学校教育隊員」として、ここサモアにいる意味ってなんなのでしょう?

必要あるのか?

ただのおせっかいでは?

と、どうしても考えてしまいます。

 

「日本で得た算数指導のノウハウを生かして、サモアの子どもたちや先生に指導する」
という建前できていますが、それがどうも押し付けになっている気がしてなりません。

だって、日本で必要な「生きる力」を育てるための教育は、サモアの子たちにとっての「生きる力」を育てる教育になっていないのですから。

それを伝えることが、現地の人にとって本当に価値があるのでしょうか?

ゆったりと時が流れ、平和で幸せに暮らしている国に「発展していこうぜー!」って、価値観を無理やり押し付けてる感じがしてなりません。

 

もちろん、学校で子どもたちと一緒に算数の勉強したり、体育で走り回ったりすると、めちゃくちゃ幸せそうな顔をしてくれます。自分もハッピーです。

でも、それが彼・彼女らの未来につながっているかといえば、答えはNOでしょう。

ただただ刹那的な「楽しい!」でおわるだけ。

この活動の意味って?

 

もやもやしてしまいます。

 

 

これからの日本で必要な「生きる力」ってなんだ?

ところかわって、これからの日本で生きていくために必要な力って何なんでしょう?

 

日本の 教育のルールブックである『学習指導要領』には、子どもに育ませたい「生きる力」についての記述があり、文科省はそれを以下のような図で示しています。

 

 

 

 

 

この『学習指導要領』は、2020年に新しくなります。

そこでの改訂ポイントが、こちら。

○ 知識及び技能の習得と思考力、判断力、表現力等の育成のバランスを重視する現行学習指導要領の枠組みや教育内容を維持した上で、知識の理解の質をさらに高め、確かな学力を育成。

(中略)

知・徳・体にわたる「生きる力」を子供たちに育むため、「何のために学ぶのか」という学習の意義を 共有しながら、授業の創意工夫や教科書等の教材の改善を引き出していけるよう、全ての教科等を、 1知識及び技能、2思考力、判断力、表現力等、3学びに向かう力、人間性等の三つの柱で再整理。

ー幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領等の改訂のポイント

 

正直、なんかまどろっこしくてよくわかりません。

 

もちろん、ここに書かれていることも大切なのかもしれませんが、もっとシンプルで大切なことがあるんじゃないかと思っています。が、まだ「これ!」って言語化できません。悔しい。

 

 

はたして上の「生きる力」は「この先の社会に対応した教育」になってるのでしょうか?

うーむ。

 

 

 

おわりに

なんかしまりのない文章になってしまいました。

着地点がふわふわしてしまっている…

 

    1つ、書きながら考えたことは

    生きる環境が変われば、生きるために必要な力も変わる

    のは、国っていう単位じゃなく職業とか、住む都道府県・市町村とかでも全然違うよな、ということ。

     

    いろんな生き方ができる時代。

    Twitterでつながる方も、最近入らせてもらった『伸びシロサロン』のみなさんも、じつにさまざまな生き方をされてます。

    だから「こんな生き方したいなー」とか「こんな環境で暮らしたいなー」というイメージから、「じゃあそこで生きるには、自分には何が必要だろう?」と逆算して考えることが、好きなように生きていくためには大切ですね。

     

     

     

    最後まで読んでくださってありがとうございました。

    ではまた!

    ABOUT ME
    ネギヤン
    ネギヤン
    『好きなことを 好きなだけ ごっちゃまぜ』にする生き方を模索中の26歳。 『大人になってもドッチボールできるとか最高!』と思い先生を志す▷教採合格し新卒3年間小学校の先生▷青年海外協力隊でサモア(今ココ)▷奥さんと世界一周▷いろんな人がまじわり、子どもの世界が広がるような地域教育の拠点をつくります □学校/教育/旅/キャンプ/カメラ/読書/服/Apple製品