まいどおおきに!
青年海外協力隊としてサモアで活動中のネギヤン(@negiyaaaaaan)です。
活動がはじまり、はや2週間。
学校で目にする、子どもと先生の関係がすっごくモヤモヤするので、ちょっと聞いてください。
「上下関係」じゃなくて「主従関係」
サモアの学校における、先生と子どもの関係はこの一言に尽きます。
サモアでは毎朝職員室に行くと、”ティー”と呼ばれる市販のカフェオレに角砂糖3個ぶちこんだかのような激甘糖尿病まっしぐら飲料が出てきます。
それはいいのですが
その飲み物を毎朝作り
先生に出し
飲み終わったカップを洗う
という作業を、すべて子どもがしています。
授業が始まる時間になっても、おかまいなしにです。
また、教室でもちょっと物を取るのにも子どもをアゴで使って取らせます。
さらには、授業の板書ですら先生のメモをもとに子どもが書くときもあります。

これっておかしいですよね?
極めつけは「Sasa(ササ)」と呼ばれる体罰。授業中、常に教師はものさしとか細い木とかもって授業してます。まるで桜塚やっくんみたいに。
で、ことあるごとに子供を叩きます。
例えば、
宿題を忘れた時。
話を聞いてなかった時。
問題を間違えたとき。
しょうじき、見ていてものすごく胸糞悪いです。
横のつながりなんてゼロ
日本ではよく「縦の糸と横の糸」という言葉で教師と児童の関係性は語られます。
つまり、子どもと同じ目線に立った一人の人間どうしの「横」の関係と、教師と児童という「縦」関係の両方を築くことが大切だといわれてます。
サモアの学校を2週間見て感じるのは、その「横の糸 = 子供と同じ目線に立つ」という意識なんて微塵もないなということ。
ましてや、その縦の関係も、教師と児童という「上下関係」なんかではなく、主人と召使いみたいな「主従関係」にしかわいには見えません。
家のなかでも「主従関係」
これは多分学校だけじゃなくてサモアの文化自体がそうなんだと感じてます。
わいはホームステイをしているのですが、うちの家族にタマラウという小学6年生の男の子がいます。
その子へのホストファザー・マザーの接し方なんて、まさに召使いそのもの。
料理の下ごしらえするのも
洗い物するのも
買い物に行くのも
家の周りのゴミ拾うのも
テレビのリモコン取るのも
布団敷くのも
来客が来たら門を開けるのも
ぜーーーーんぶ「タマラウ!」って呼んで、命令して、やらせます。
サモアには、目上の人を重んじる文化があります。
だから、家の中の年少者=子どもが1番身分が低くて、雑用を全部こなす。
同様に、学校の中では教師が年長者。だから児童=年少者をアゴで使う。
サモアでは当たり前なんでしょうが、どうしても違和感を感じます。
とくに、この前、九九の暗唱がスラスラ言えなかったからといって、子どもたち全員の手を物差しでしばいて回ってるのを見た時には怒りが爆発しそうでした。
言えない子供たちが悪いんじゃなくて、ちゃんと理解できるような授業してない自分が悪いんじゃないのか?と。
でもここはサモア。
きっとそれがこの国の「当たり前」なのだと思うと、意見することもできませんでした。不甲斐なかったです。
おわりに
一体どこまでが「変えられないもの」で、どこまでが「変えられる余地のあるもの」なのか。そんなことを考えます。
これが文化の壁ってやつなのかな?
わいは、サモアで出会うすべてのものや、文化に敬意を払いたいと思っています。
でも、この文化にだけは死んでも染まりたくも慣れたくもないです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
ではまた!