まいどおおきに!
青年海外協力隊としてサモアで活動中のネギヤン(@negiyaaaaaan)です。
サモア人家庭でのホームステイが始まって3ヶ月。
きのうの夜、はじめてホストファミリーと軽く衝突しました。
物理的な意味ではないです。
体同士ぶつかったら200%吹っ飛ばされますからね。
その、なんというかちょっとプンプンしてしまったといいますか、軽く怒ってしまったといいますか。要はプチゲンカです。
これを機に『異文化理解』とか、海外で暮らして『価値観が変わる』とかについてちょっと考えてみました。
もくじ
基本的には超幸せ・超感謝
ホームステイさせてもらい始めてからの3ヶ月、本当にいいように生活させてもらっています。
毎朝学校に着ていく服にアイロンをかけてくれること。
3食かかさずご飯を与えてくれること。
自分の部屋を与えてくれてプライベートには干渉しないように配慮してくれていること。
など、感謝してもしきれないくらい「ありがとう」を感じています。
我が子のように扱ってくれて、もうすでに
「帰っちゃうのが寂しいわ。アイミスユー」なんて言ってくれたりしているホストファミリーがすごく好きで、毎日幸せです。
この家族に会えただけでサモアに来た価値があるなあ。とすら感じるほど。
本当に恵まれています。
そんな大好きなホストファミリーなのですが、生活していくうえでどうしても理解できない文化が1つだけあります。
そのフラストレーションがちょっとずつ溜まっていて、きのうついにリミットオーバー。
ちょっと怒ってしまいました。ホストファザーに。
「年上=エライ」から年下に命令してよし
サモアで生活していてどうしても理解できないのがこの文化。
日本にも上下関係ってありますよね。
でもサモアのソレは、日本のアレとはちょっと、ってかだいぶ違うんです。
日本のそれはいわば「先輩・後輩」の関係性。そこには尊敬がありますよね。
しかし、サモアのそれは「主人・奴隷」のような関係。たびたびこのブログでもお伝えしている通りです。
言い方はだいぶ悪いかもしれませんが、年上が年下を使いっパシるのがサモアの文化。
たとえば学校では、先生がお腹が空いたら子どもにお金渡してスーパーまで食べ物買いに行かせたり、お茶がなくなったら授業中でもおかまいなしにお茶のおかわりを炊事場まで汲みに行かせたりします。
同じように家庭内でも子どもはありとあらゆる家事、雑用、親の身の回りの世話をさせられています。
なんなら、赤の他人である来客や隣人にすら「子ども(年下)だから」という理由でアゴで使われる始末。
親が子どもを第一に考えてあれやこれやと世話をする日本とは真逆です。
「途上国といわれる国はどこもこうなのか?」
と考えたりもするんだけど、そうやって1つにくくって考えるのって、なんだかちがうよなと、思ったり。
とにかく、見ていていい気持ちがしないんですよ。
どうしても理解できないし、慣れることができない。日々違和感を感じています。
「ヒロ、皿」(わい:家の外 ファザー:皿の2m横に座っている)
見ていていい気持ちがしないと書きましたが、その命令が自分にも及んでくると余計にいい気持ちがしません。
(お願いじゃなくて命令だとぼくは感じてます。理由はそこに感謝の気持ちが微塵もないと感じるから)
たとえば
「ヒロ!」
って呼ばれてリビングに行くと
「リモコンとって」
(ファザー:手を伸ばしたら届く距離に寝転んでいる)
みたいな。
書いててイヤになってくるくらいちっちゃいことですが、こういう「自分でやれよ」っていうことをよく命令されます。
はじめは
「ああ、またか。まあ我が子のように接してくれてるんだと考えよう」
っと思って我慢してたんですが、それが3ヶ月も続くともうだめです。
「自分でやれよ!」のフラストレーションがたまってきます。
そしてきのう、わいが買い物(おつかい)に行こうと外でサンダル履いてるときに
「ヒロ!」
って呼ばれて
「皿!(とれ)」
(ホストファザーの真後ろにある)
って言われたところでイライラゲージがボーダーを超えて怒ってしまいました。
「自分でやれや!」
って、気がついたら言ってしまってました。
「郷に入れば郷に従え」といいますが
もちろん、ホームステイさせてもらっていて感謝の気持ちはすごくあります。
そしてそれをなんとかして伝えたい、行動で示したいと思って、晩飯の準備をしたり、赤ちゃんの子守りをしたりと自分から手伝えることを探しています。
でも、そういうヘルプと、この「自分でできることをめんどくさいから子供にやらせる命令」とはまったく性質が違うと感じるので、どうしても素直に答えることができません。
で、考えたんです。
自分はサモアに住んでいる「よそ者」。マイノリティ。
ましてやサモアの家庭にお邪魔させてもらっている身。
だから、これは我慢して受け入れないといけないのか?と。
考えたんですが、やっぱりどうしても違和感がとれない。
自分には自分の価値観と文化があるから。
ぼくにサモアの文化をリスペクトしようとか、理解しようとする姿勢がないわけじゃなくて、そう試みたけどどうしても無理なんです。これに関しては。
よく外国で生活したり旅したりして「価値観が変わった」って話しを聞きますが、それってきっと、自分の中でその異国の文化や価値観がフィットしたり、それを自分に取り入れることで自分がよりよくなれそうだと感じるから自分の価値観に変化が起こるんだと思います。
そう考えると「自分はこの受け入れがたい文化・価値観に無理して適応する必要はないのでは?」と思えてきます。
でもその一方で
「いやそれはただのエゴじゃないか?『郷に入れば郷に従え』で自分が折れるべきかもしれない」
と考える自分もいます。
そうやってモヤモヤして心が爆発しそうだったので、ソロモンで活動中の同期隊員まるちゃんにこの出来事を相談しました。するとこんな答えが。
ホームステイさせてもらっている以上、家族のルールに乗っとるべきだとおもう。けど、お互い違う生活をしてきたわけだから『イヤなことはいやだ』とか「その要求は答えられない』とかは伝えるべきだと思う。
だって全部『郷に入れば郷に従え』にのっとって行動するのって、要は思考停止だし、それこそ伝統とかいって暴力ふるってるのと変わらないし。
環境に自分を染めることがその文化を受け入れるってことではないと思う。
すごくこれ聞いて楽になったんです。腑に落ちました、ストンと。
なんでもかんでも相手の文化や価値観を受け入れるってのは、むしろその文化や価値観にきちんと向き合ってないんじゃないか?
ただただ受け入れるんじゃなくて、自分のフィルターを通してその文化を見て、自分の頭で色々と考えた結果、けっきょく全ては分かり合えないということを理解するのが大切なのだという結論に、自分のなかで至りました。
「分かり合えない」ということを出発点に
つまり、『異文化理解』とは、「互いにすべては分かり合えない」ということを出発点にして歩み寄ろうとすることなのかなと、この1件を通して学びました。
そのためには、対話が必要です。
まずは、自分が歩み寄ろうとしている姿勢を伝えること。
そして、向こうの言葉に耳を傾けること。
きちんと話す時間を取ろう。
のこり1年4ヶ月間お互いイヤな関係で過ごしたくはないから。
違う文化をもつ人同士が一緒に暮らすのって難しいんだなーって、あらためて感じました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
ではまた!