まいどおおきに、ネギヤン(@negiyaaaaaan)です!
学校に関するニュースや論争ってひっきりなしにありますよね。
たとえば最近だとこれとか
少し前だとこれとか
『教育は惰性の強いシステム』と聞いたことがありますが、1度話題にあがったからといって、すぐに解決の方向に進まないのも教育に関する問題の特徴ですよね。
まあ、話題にあがらなければずっとそのままなんだけど。
そんな長年あーだこーだいってる教育問題界の東の横綱が
『体罰』
ではないでしょうか。(西の横綱は「いじめ」です)
みなさんは『体罰』についてどんな意見をもってますか?
ササ!ササ!ササ!
今ぼくは、JICAに派遣されてニュージーランドとハワイの中間くらいに位置する小さな島国サモアというところで小学校の先生をしています。
ここの国は、本当に体罰がひどいんです。見てられないくらい。
サモアでは体罰のことを「ササ」といいます。
たとえば子どもが、
イタズラしたり
言うこと聞かなかったり
算数の九九を言えなかったり(子どもは全然悪くない。指導する教師の責任なのに)
「ササ!」
っていって先生が子どもを叩きます。
素手でビンタするときもあれば、手頃な棒(どっかにそれ用として売ってるのかな?ってくらい太さ長さ軽さがちょうどのやつ)で叩くこともあります。
子どもたちは歯を食いしばりながら、涙を目に浮かべながらこらえます。我慢します。
本当に見てられなくて、ぼくはいつも子どもがササされると感じたときはその場を離れるようにしています。
見てしまうとあまりのかわいそうさとその理不尽さに怒りが爆発してしまいそうなので。
家でも「ササ!」
これは学校だけじゃなくて、家庭でも同じです。
ホームステイさせてもらっている我が家には、生後10ヶ月の可愛いかわいいマイエンジェルがいます。(あまりのかわいさに、どうにかして日本に連れて帰れないか思案中)
まだ立てないし、話せない。もちろん物の良し悪しなんかわかりません。
そんな赤ちゃんにも、お母さんは「ササ!」をします。
たとえば、
持って遊んでいるおもちゃをポイって投げたとき
自分で持ってる哺乳瓶を落としちゃったとき
とか。
お母さんは赤ちゃんの手を取って「ササ!」と言って叩きます。もちろん軽くですけど。
初めて見たときは衝撃でした。
まだ言葉も喋れない、もちろん理解できない赤ちゃんを叩くなんて。
でも、愛がないわけじゃないんです。
「ササ!」をした後お母さんはナタリーのことを “これでもか!” ってくらい強く抱きしめるんですよね。
わいがナタリーなら2秒でタップだろうな、ってくらい。
それはもうタイトに。そのままジーンズにねじ込めるんちゃうかってくらい。
ぼくはこのハグを「SASAのあとのBOA」と遠巻きで名付けています。
首相「体罰もっとやれ!」
と、まあここまでお読みいただいて、サモアという国では「体罰(=ササ)」が学校でも家庭でもいわば伝統的な教育方法としていまだに行われている、ということが分かっていただけたでしょうか。
で、ここでぼくの体罰に関するスタンスをいうと、当然
大大大大大大反対です。
昨日まで「大大大反対」だったのですが、今日同僚からサモアの体罰事情を聞いて「大」が倍増しました。
2倍です。
スーパー仁くんみたいなもんですね。
ではその草野仁くん同僚の言っていた話を。
サモアではここまで書いてきたとおり、子どもへの教育と体罰は切っても切り離せないものでした。というか今もそうです。
けれどもやはり、これだけ体罰が横行していたらやはりトラブルもあるようで、過度の体罰によって子どもを怪我させて先生が捕まる、なんてことも常日頃あったそう。
今でもあると聞きます。
そんな事態を見かねた日本でいうところの文科省が、数年前に「体罰禁止令」を教師に出しました。
すると、もちろんゼロになるわけはありませんが、先生たちの体罰は減ったようです。
それで、どうなったのか?
若者の都市部での事件や犯罪が増えたそうです。
今まで締め付けていた分の反動ですね。
それを見かねて政府(首相って同僚は言ってた)のとった行動が、まさかの
『体罰推奨』
つまり
「ササ(体罰)がなくなったから言うことを聞かず、モラルのない若者が増えた!だからきちんとササをして言うことを聞かせないとだめだ!」
ってことを言い出したんだとか。
ちなみに、その先生に
「あなたは体罰は必要だと思う?」
って聞いたら
「もちろん。だって見て、この子たち。(教室で50人くらいの子どもがワーワー騒いでる)ササしなかったらこうやってずっと遊んでるのよ」
って言ってました。
体罰ダメ、ゼッタイ
この話を聞いて、あらためて体罰がダメな理由を、あらためてはっきりと整理できました。
それは
- 思考力が育たない
- 依存性
の2つです。
思考力が育たない
常日頃から体罰を受けてきた子どもたちは、行動の基準が「それをして叩かれないかどうか」になり、「叩かれないとダメだとわからない」頭になっちゃいます。
だから「先生とか親といった叩く人がいたら叩かれたくないから大人しくするけど休み時間はその反動で騒ぎまくる」とか、「叩かれないことがわかっているぼくの授業だとザワザワ騒がしくなる」といった風になります。
その延長にあるのが、同僚が話してくれた「若者の事件やトラブルの増加(実際どれだけ増えたのかはわからんけど)」でしょう。
これってまるで、自分の人生のコントローラーが自分の手元にないみたいで悲しく、かわいそうじゃないですか?
依存性
「体罰って麻薬みたいなもんやで」って先輩の先生から聞いたことがあります。
気に入らんことがあったら、怒って叩いたら子どもが言うことをきくっていうのは、親や教師からしたらとんでもなくラクです。バシバシやったらええだけだから。
だから、そのラクさにおぼれて、まともな躾や方法を考えようとしなくなります。
もっと言うと、その親や教師も昔は子どもでバシバシされてきたから、自分がそうすることが良くないことだっていう発想がなくなってしまう。麻痺してしまってる場合もあります。
子どもは子どもで「叩かれへんかったらOK」ってなってるから、叩かれない限りずっと好き勝手し続ける
だから、ちょっとでも叩くのやめたら言うことを聞かなくなるからずーっと体罰せなあかんくなる。
最悪のサイクルですね。
このサイクルが1回できてしまうと、なかなかその根を絶やすのは難しい。
ぼくがいるここサモアでは体罰が文化レベルで根付いていて、いうなれば超ヘビーなドラッカーです。
片時もササが離せない、的な。
申し訳ないけど、この国では体罰は未来永劫なくならないんだろうなーって思います。
サモアのことは大好きなので、余計に悲しいです。
死ぬまで体罰しません宣言
ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございます。
「申し訳ないけれども反面教師にしよう」と思いながら、同僚の話を聞いてました。
そしてあらためて、いま自分が関わってるサモアの子どもたちがかわいそうでかわいそうでたまりません。
が、こればっかりはぼくにはどうしようもできません。
ぼくにできることは、自分がこれから関わる子どもたちを絶対に叩かないことくらいです。
みなさんは、もし自分に子どもができたら、もし先生になったら、どうしますか?
ではでは
最後まで読んでくださってありがとうございました。
ではまた!