まいどおおきに、ネギヤン(@negiyaaaaaan)です!
たびたび記事でもお伝えしているのですが、わいが今住んでいるサモアという国は年齢至上社会。上下関係にものすごく厳しい国です。

上の記事で書いたような学校での先生と児童の関係性はもちろん、家庭でも年長者と年少者の力関係や役割がはっきりしています。
簡単にいうと、年長者は何もしない。年少者が家事・雑用をすべてやるといった感じ。
わいがホームステイをしている家庭は特にこの役割分担が厳しく(見える)、おとん・おかんはほぼ1日中玄関先の涼しい場所で座ってのんびりしているだけ。
たとえば喉乾いたら
って言ってもってこさせる
赤ちゃんが遊びまわってたら
と指示を出す
雨が降りそうだなと思ったら
といって取り込ませる
と、いうように。
まるで腕のいい現場監督みたいです。
いつもその指示に従順な娘夫婦や子どもたちの様子を見て
と思っていました。
が、
ついに先日、ホストシスターの堪忍袋の尾が切れ、おとん・おかんと喧嘩になっていました。
その様子を見て思ったことをすこし書いていきます。
ことの経緯
カンタンな流れは、こうです。
ホストシスターとホストおかん・おとんがケンカしてた
ケンカの原因は、シスターが家の裏にある炊事場で洗い物してたのに、おかんがそれを油を売っていたと勘違いしたこと。
いつもおとん・おかんから言われるがまま家事や雑用をこなしてるシスターのフラストレーションが爆発してた
— ネギヤン@南国ティーチャー🏝🇼🇸 (@negiyaaaaaan) 2018年11月6日
シスターは家の裏にある炊事場で溜まっていた食器を洗っていた。
でも、玄関先で涼んでいるおかんたちには当然その様子が見えません。
それで油を売ってると思い込んで、藪からスティックに激昂。
そりゃあシスターも怒りますよね…
今までのフラストレーション爆発
しかし、ケンカといえどここはサモア。
やはり年長者に偉そうな口を聞くことはよくないようで。
「ケンカ」といえど、シスターは一言・二言をおとん・おかんに言い返しただけ。
きっとそれが精一杯の反抗なんだろうなと思うと、なんともいたたまれない。。。
イライラを吐くだけでもラクになるだろうと思い、少し時間を空け、ほとぼりが冷めたあとにシスターの話を聞きました。
シ:あの人たちはただ座ってるだけで命令ばっかり。もううんざり
わ:うん。よく我慢してると思う
シ:家を出てけ!って言われたけど、そうなると困るのあの人たちよ
わ:ごもっとも
シ:赤ちゃんのオムツ代ももう払わん!って言われたけど、あの人たちの持ってるお金はわたしの稼いだ給料なのに…
— ネギヤン@南国ティーチャー🏝🇼🇸 (@negiyaaaaaan) 2018年11月6日
わ:え?
シ:わたしが自由に使えるのは通勤のバス代だけ。あとは全部あの人たちのお金になってるの
わ:え…
シ:あの人たちはもっとわたしたち子どもに感謝の気持ちを持つべきだわ。
と、こんな感じでした。
— ネギヤン@南国ティーチャー🏝🇼🇸 (@negiyaaaaaan) 2018年11月6日
うん。ごもっとも。すべて正論、とわいは思います。
しかし、そんなことは口にできない。
自分の心の中で握りつぶすしかない、家庭のシステム。。
『文化』という言葉と1人の人生
シスターの話を聞いて、こんなことを思いました。
これ、サモアの若夫婦あるあるなんだと思います。父母にアゴで使われることへのフラストレーション
大のオトナになっても自分の人生を生きられない姿を見てなんだかなぁ…と思います
「文化」といえばそこまでなんやろけど、そんな言葉で割り切ると、目の前のシスターの人生ってなんなんだろう?って
— ネギヤン@南国ティーチャー🏝🇼🇸 (@negiyaaaaaan) 2018年11月6日
シスターはわいの5歳年上(32歳)。結婚もしていて、赤ちゃんもいます。
当然、一人前の大人。
それなのに、汗かいて働き得た給料はほとんどすべてが両親の懐にはいり、家に帰ると自分の赤ちゃんの世話, 家事, 雑用に追われる毎日。
これで彼女は「自分の人生を生きている」って言えるのでしょうか?
自分は「毎日なにをするか」という小さなコトから、「ここサモアで働く」という大きなコトまで、たくさん選択を積み重ねて日々生きています。
そう考えると、「生きることは選ぶこと」と言えるでしょう。
そう考えたとき、言われたことや決められたことを、こなす毎日を送る彼女の生活には、どれほどの『選択する機会』があるのか?
と言ってしまえばそれまでかもしれません。
でも「文化」って言葉1つで一人の人生を片付けちゃうのはちょっと違うんじゃないかな、と。
とはいえ「じゃあどうすれば?」って考えると、、、
うーん。むずかしい。
おわりに
また、こんなことも考えました。
☑︎「サモア人は家族愛が強い」っていうけど、その『子どもへの愛』ってなんなんだろう?
☑︎こう言ってるシスターは、将来おかんの立場になったらどうするんだろう?
なんて考えました
トータルではこの国のことが好きやけど、こと家庭の在り方になると未だイマイチ好きになれてない自分がいます
— ネギヤン@南国ティーチャー🏝🇼🇸 (@negiyaaaaaan) 2018年11月6日
年齢至上であり、かつ『超家族ファースト』なサモア。
「愛している」
とは言うものの、子どもたちをこんなふうに接する、というか扱う彼らにとって、いったい『愛』とはなんなんだろう?
また、今、自分のおとんおかんにアゴで使われることに不満を抱いているシスターは、自分がその立場になったらどうなるんだろう?
「自分がされてイヤだったから、私はそんな風にはならない!」
となるのか
「自分もされてきたから」
と、同じような “おかん” になるのか。
自分の良心にしたがって、前者になってくれることをぼくは願います。
答え合わせは20年後にまたフラッと遊びに来たときかな〜
最後まで読んでくださってありがとうございました!
ほなまた!


