まいどおおきに、ネギヤン(@negiyaaaaaan)です。
久しぶりに、青年海外協力隊の活動についての記事を書こうと思います。
おかげさまで、あたたかいホストファミリーや気の合う隊員仲間に恵まれ、サモアでの生活はめちゃくちゃ充実しています。
けれども実は、肝心の活動のほうはサモアに来てから1年と4ヶ月の間、ずーっとモヤモヤしっぱなしだったんです。
サモアに来てから1年間の活動のハイライトはこちら。

一体そんなに長い間、なににモヤモヤしていたのか?
簡単にいうと「青年海外協力隊あるある」と揶揄されることもある
といった類のことです。
とくに
- 同じようなことで悩んでいる現役隊員のあなた
- これから青年海外協力隊に参加される予定のあなた
に読んでもらいたいです。
- 一年以上も、なにに、なぜモヤモヤしてたのか
- 何がキッカケでそのモヤモヤが晴れてきたのか
- この記事のタイトルのような悩みにぶち当たったときに、大切にしてほしいこと
を書いていきます。
ウジウジ悩んで、長いあいだ停滞していた様をさらすのは恥ずかしかったりもしますが、ふり返らないと先には進めないですからね!
それでは、いきましょう!
もくじ
「ここにいる意味ってなんなんや?」1年4ヶ月もの間、わいがモヤモヤしていたこと
わいがサモアに来たのは2017年の7月末。
なので、サモア在住歴(協力隊としての活動歴)はおよそ1年4ヶ月になります。
恥を承知でぶっちゃけますが
活動が始まってからずっとモヤモヤしていたことがあって、1年4ヶ月が経とうとするこの時期になるまでそのことに納得がいかず活動のモチベーションを見いだすことができないでいました。
「できないで『いました』」
というとおり、やっと、やっと先週あたりからそのモヤモヤを振り払い、自分のなかでここにいる意味に納得ができるようになりました。
では、わいは一体何にそんなにモヤモヤとしていたんでしょう?
3つの異なるポジション。見出せない「立ち位置」
まずはこれです。
ボランティアとして派遣されている村の小学校での自分の立ち位置(=役割, ポジション)に納得ができなかったんです。
中間報告の記事でも書いたのですが、
- 自分がイメージしていたポジション
- 配属先がわいに求めているポジション
- 実際に置かれたポジション
の整合性がまったくないことがもっとも大きな悩みのタネでした。

「3年間の学校現場の経験をもとに、先生たちと一緒に授業の改善に取り組む」というイメージを持って、ワクワクしてサモアにやってきた自分。
しかし、ここサモアの学校に派遣されている隊員は、『1人の先生』としてサモア人の先生に混ざって同様に授業をすることが求められています。
みたいに
ってな具合に、現地の先生からは思われています。
それならそれでバリバリ授業すればいいのですが、うちの学校は10クラスあるのに対して先生が12人で先生が余っているような状態なんですね。
そうなると『転勤してきた1人の先生』にもなりきれず
と、感じちゃうわけです。
そうしてモヤモヤが生まれました。
「刹那的な活動にしたくない」というこだわり
とはいえ、わざわざこんな遠くの島国まで、自分の大切な20代の2年間を費やしてきたのに全くなにもしないのは時間のムダ。
だから、先生と相談して算数や体育の授業をやる時間をもらうわけです。(「相談」といっても、先生たちはわいが授業すると自分がラクできるので2つ返事でOK)
子どもとの授業は、正直、クソ楽しいです。
やんちゃすぎて腹立つこともありますけどね。笑
でも「楽しい」とはいえ、そこには予想していた以上の「言葉が通じない」というむずかしさがあって。
英語とサモア語の2つがサモアの公用語とされているのですが、基本的に日常会話はすべてがサモア語。
とくにうちのような地方の小学生には、ほとんど英語が通じません。
対して自分は、サモアに来る前に2ヶ月間長野県の山奥に缶詰で英語を勉強してきてました。
そのため、サモア語は0からのスタート。
わい:英語ならぼちぼち喋れる, サモア語は簡単なコミュニケーションのみ
ーーー厚いカベーーー
子ども:サモア語ペラペラ, 英語はあいさつ程度
↑こんな感じです。
この壁がだいぶ分厚く高く、伝えたいことがほとんどさっぱり伝わらず授業に手応えが全く得られませんでした。
「でした」というより、今も手応えは得られてないのですが…
『楽しい』けどまったく手応えがない。
そんな、毎日の活動に一過性と刹那さを感じ、ますます
と、モヤモヤが強く、濃くなっていったのです。
伏せられたコップに水は注げない
では、なんでわいは子どもへの授業に一過性や刹那さを感じたのでしょう?
それは、子どもへの授業をしたところで『自分が帰ったらすべてがリセットされる』感じがしたからです。
と、いうのも、来る前から自分の任期が終わってからも残り続ける活動をしたいと考えていました。
じゃあ、教育という自分の分野でできうる「あとに残る活動」ってなんなんだ?
と考えると、きっとそれは現地の先生への技術移転だ、と思いました。
現地の先生に自分が日本で学んだ知識やスキルを伝えたり、それを基にした働きかけをして「授業の技術」が先生のなかに残れば、これからその先生が関わる子どもたちにイイ影響が生まれるじゃないか!と。
だから、子どもへの授業に一過性と刹那さを感じてしまってモヤモヤ、モチベーションを見出せずにいたわけです。
と思うでしょう。わいもそう考えました。
でも、ここサモアの先生たち(少なくともわいのまわりにいる)は、例えるならば伏せられたコップ状態。
わいがどれだけ水を注ごうとしても、一滴も内側に入ることなくこぼれ落ちるだけ。

水が入らずにこぼれることがわかっているのに、わざわざ水を汲んで、注ぐ気が自分にはおきません。
なぜなのか?
考えてみました。
きっと、コップが伏せられていても「北風と太陽」の北風のように無理やりコップをひっくり返したり、太陽のように自らひっくり返すように遠回しに働きかける方法もあるはずです。
なのですが、「働かない is 正義」とでも言わんばかりの先生たちの怠惰さや、授業そっちのけで子どもをほったらかしにしている姿を見ると、そのどちらの方法も試す心持ちが起きませんでした。
ぼくらは「ボランティア」です。
広義で「ボランティア」とは、自分が好きで自発的にとる行動のことをいうみたいです。
そして自分は、自分の好きな相手にしかそういった行動を起こすモチベーションは湧かないタイプ。
まわりの先生のことは人としては “好き” です。
でも「同僚」や「イチ教師」としては、どうしても好きになれない。
だから、伏せられているコップをひっくり返そうという気が起こらないんだと自分で納得しました。
モヤモヤ解消のトリガーになった2つのキッカケ
そんな、1年4ヶ月ものあいだ胸のなかでモヤモヤしていたた気持ちが、ここ1,2週間で起こったあることがきっかけでパッと晴れてきたんです。
「『熾』を残す」という言葉
まず1つ目のきっかけになったのは、この本です。
同じサモアの小学校隊員でブログ仲間でもあるかまちゃんがくれたこの本。
もともと読みたいなと思っていたけどKindle版がないため帰国後に読むつもりだったんですよね。
それを、たまたま持っていたかまちゃんが、帰国のための荷物一掃のために譲ってくれたのです。優しいんだから、もう。
タイトルのとおり、アイスブレイクをもとにしてた学級アクテビティがたくさん紹介されているこの本。
活動に生かしたり、子どもとの遊びで使えるネタを探すのが読む目的でした。
しかし、冒頭の、筆者が自身のクラス経営で大切にしていることを述べている部分で、この言葉に出会ったんです。
『熾』を残す
と思いググったのですが、全く意味がヒットしない。
それもそのはず。
熾←この文字は
『しき』ではなく『おき』と読むのです。
この「『熾』を残す」という言葉、この本で初めて知りました。
とはいえ、『熾』とは?

『熾火』とは?

つまり、これが『熾』です。

この本の著者である江越先生は、自身が子どもと関わる教育活動を「火」と例え、その関わりが『熾』として子どもの心の中に残ってくれることが自身の教育の目指すところだと本文で述べられてました。
この言葉を読んだとき
と、ガーンと頭をぶたれたように感じました。
うえに書いたように、わいのモヤモヤの大部分を占めていたのは「刹那的な活動への嫌気」のようなもの。
帰国した後も明らかにあとに残るような、目に見える成果のようなものを求めていました。
けれどもこの言葉を読んで
あ、自分がやってる子どもへの授業も一過性のものなんかじゃないんだ
と思えるようになったんです。
なんていうか、心の中にへばりついていた黒や紫の色をしたネバネバするなにかがすっと溶けていくような感覚がしました。
「先生に技術移転してより大きな効果を!」
ということはとても素晴らしく、自分のイメージしていた理想像です。
けれども、それだけじゃないんだな、って。
今の自分が関わる子どもの数はせいぜい40-50人くらいで、大きなインパクトを与えることはできません。
けれども、その子どもたちのなかにぼくとの関わりから生まれた『熾』がのこってくれたらそれでいいじゃん、と、考えらえれるようになりました。
すごくキレイごとで、クサいように聞こえるかもしれませんが、ホンマです。
「かかわる人に『熾』を残す」
これって、すべての青年海外協力隊の活動に共通していえることなのではないでしょうか。
クサいけれども、『持つべきものは仲間』
はい。クサいですね。
でも本当なんです。仲間に救われました。
モヤモヤが晴れてきたもう1つのきっかけは、同期との会話です。
パラグアイ
エクアドル
ペルー
ブータン
フィジー
にいる同期隊員と定期的にテレビ電話で交流しています。
オレたちの中間報告会
なんて銘打って、各々の活動の様子をパワポを使いながら伝え合ったりしています。
先日、その「オレチュー(オレたちの中間報告会の略。エアーズロックの頂上で叫ぶ映画ではない)」で、自分の今までの活動がうまくいっていないこと、モヤモヤしていたこと、モヤモヤが晴れてきたことを全部吐き出させてもらいました。
けっこうネガティブな内容で、聞いてくれている側はイヤな気持ちになったんじゃないかと申し訳なくなったんですが、そんな心配は無用でした。
みんなあたたかいフィードバックやアドバイスをくれるんですよ。
ほんと、もう泣きそうでした。笑
そのなかで同期のうちの1人が
「教育隊員を見ていて思うけど、先生への活動にこだわりすぎているように思う。子どもへの活動や関わりもものすごく大切だと思うから、ネギヤンのその考え、イイと思うよ。がんばって」
と、ポーンと優しく背中を押してくれました。
これで、自分のなかにあったモヤモヤが完全に晴れたのです。
おわりに:『熾』と『仲間』
以上、わいが一年以上もの間モヤモヤしていたことと、それが晴れたキッカケになった出来事でした。
想像以上に長くなっちゃいました。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
振り返ってみると、モヤモヤが晴れたきっかけはどちらも『言葉』です。
「言葉の力」って、ホント、すごい。
きっと、ここまで読んでくれたみなさんの中には
と思う人もいらっしゃるでしょう。
おっしゃる通り。ごもっともです。笑
わいもできることならそうしたかったんですよね。
けど、できなかった。
それはきっと
頑固なこだわりを持ちがち & あれこれむずかしく考えてしまいがち
な性格によるところが大きいんだと思います。
ほんと、こうやって落ち着くまでえらく長い時間がかかってしまいました。
かといって、こう考えられるようになるまでこれだけの長い時間がかかったことを後悔するつもりはさらさらありません。
きっと自分にはこの時間が必要だったんです。
だから、もし今これを読んでいるあなたが同じようなことで悩んでいても、その時間はムダではないです。
悩んで、あれこれ考えて、イーーーってなって、モヤモヤする。
そんな時間も必要なんです。
とはいえ、この「モヤモヤ期間」が短ければ短いほど、あるいは無ければ無いほど、前を向いて生産的に活動できることは明らか。
だから、このブログを読んでくださってる現役隊員、協力隊になりたいと考えているあなたには同じ轍を踏んでほしくない。できるだけ前向きで実りのある時間をたくさん過ごしてもらいたいです。
なので、そのためにわいのこの経験を一般化するなら
- 関わる人の心に『熾』を残すイメージをもつ。そうすると、一過性に思える活動も実は未来に続いていると気づくことができる。
- 世界中にいる仲間との繋がりを大切に。同じような環境, 境遇だからわかりあえることがある。
といったところでしょうか。
この文章が、あなたの中に『熾』として残ることがあればそれほど嬉しいことはありません。
ってことで、おあとがよろしいようで。。。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
ほなまた!


